八丁堀・幟町

にぎわう八丁堀 戦前から

 八丁堀(広島市中区)は被爆前から広島を代表する繁華街だった。1912(大正元)年、広島駅と市中心部を結ぶ路面電車が開通すると、路線沿いの八丁堀に金融機関や行楽施設が集積。買い物客でにぎわった。だが、爆心地から1キロ圏だった地区は75年前の8月6日、壊滅する。戦後の百貨店や商店街の再建は、広島の復興の象徴となった。焼失を免れた貴重な写真と当時の住民の証言を通して、原爆に奪われた街を見る。

1940年前後

1940年前後

被爆直後

被爆直後

映画館 商店 神社 ここが遊び場

すべて奪った原爆

  弟子たちに囲まれ、バルコニーで満面の笑みを浮かべる帽子とちょうネクタイの男性。正面の壁とガラス戸には、店名の「たけさん」や「図案・肖像」「和洋劇画」「諸かんばん」の飾り文字が見える。
 胡町(現中区堀川町)で生まれ育った武永舜子(きよこ)さん(89)が手元に置いてきた写真だ。「これが父。私が生まれた昭和5(1930)年ごろだと思う。家の外観を写したのはほかにないんよ」
 父三太郎さんは20代だった大正期、胡子神社の向かい側に立つ自宅で看板店を開いた。「太陽館」「東洋座」「歌舞伎座」など八丁堀に映画館や劇場が相次ぎできた時期だ。店頭に大きな看板が並ぶ「たけさん」は近所でも目立っていた。

たけさん

「たけさん」の2階に並んで立つ武永さんの父三太郎さん(左から6人目)と弟子たち。1930年ごろ(武永舜子さん提供)

「家の前は『尼子』のしょうゆ屋さん。たるが並ぶ蔵でかくれんぼをした。暗いから迷うんよね」「その奥の方が太陽館。弟子たちが大八車で看板を運ぶのに付いて、しゅっと中に入って映画を見た」
 胡町に隣接する商店街「金座街」も含めた八丁堀一帯には、約80軒の商店が軒を連ね、29年には広島初の百貨店、福屋も開店。華やかだった。

敵機爆音レコード

現在の福屋八丁堀本店の西側から見た金座街。1935年11月ごろ。胡子大祭の装飾がにぎやかだ(豊田正一さん撮影、豊田健二さん提供)

敵機爆音レコード

皇紀2600年の祝賀行事として1940年11月に開かれた胡子大祭。商店はセールを実施した。右手前の灯籠が胡子神社入り口(牧野ミヤ子さん提供)

 しかし、市民の娯楽と結びついていた看板の仕事は、戦況の悪化とともに減少。三太郎さんは古美術商に業態を転換した。周りでは、空襲時の延焼を防ぐため家屋を壊して防火帯を造る「建物疎開」により、立ち退きになる家が増えた。
 45年8月6日、八丁堀一帯は原爆の爆風や熱線をもろに受け、福屋や銀行など鉄筋のビルを残して焼け野原と化す。
 武永さんの母シンさんは自宅で被爆死し、16歳だった姉堯子(たかこ)さんは近くの泉邸(現縮景園)で亡くなった。2人の遺骨は見つかっていない。12歳の妹瑛子(てるこ)さんは、市中心部で建物疎開作業に出ていて大やけどを負った。体にうじがわき、終戦の8日後に息を引き取った。「何の罪もない子があんなひどい目に遭った。かわいそうで…」
 広島女学院高等女学校(現広島女学院中高)3年だった武永さん自身は、動員先の広島財務局にいた。爆心地から約800メートル。がれきの下敷きになりながら必死で逃げ、三太郎さんの古里の大林(安佐北区)に生き残った家族で身を寄せた。父子ともに脱毛や吐血など被爆の急性症状に苦しんだ。  それでも三太郎さんは「絶対胡町に帰る」と約半年後から毎日、自宅まで約20キロを自転車で通って焼け跡にバラックを建てた。生き残った住民と復興に尽くした。武永さんは、父が残した場所に現在も暮らす。  幼なじみの牧野ミヤ子さん(85)=廿日市市=の実家は、金座街の呉服店「ベニヤモスリン」だった。両親を原爆で失い、祖母に育てられながら小学校を転々とした。今も毎週のように古里を訪れている。  その金座街から遊び場だった胡子神社まで一緒に歩いた2人。「境内で『陣地取り』をして友だちと遊んだでしょう」。思い出話が止めどなく出てくる。「でも、古里も家族も、街も一度になくなってしまったんよね」  きょうも買い物客でにぎわう八丁堀の街並み。原爆の爪痕を見つけることは難しいが、武永さんたちの「あの日」までの記憶は確かに刻まれている。

敵機爆音レコード

「胡子神社が遊び場じゃった」と子どもの頃を懐かしむ武永さん㊨と牧野さん。戦前の神社は現在より西側にあった(撮影・高橋洋史)

被爆前の八丁堀周辺

被爆前の八丁堀周辺
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当時の広島の写真募ります

中国新聞社は連載「ヒロシマの空白 被爆75年」の一環で、昭和初期から被爆直前までの広島市内の様子を捉えた写真を募ります。読者や地域の皆さんの自宅に、貴重な一枚が眠っていませんか。情報をお寄せください。写真の一部を紙面上やウェブサイトで順次紹介します。

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